マイストーリー
神様、イエス・キリストとの歩み
わたしの素敵なストーリー
「信仰の確信が得られた喜び」
Bさん 50代女性 事務職
私は仏教と神道の信仰が厚い両親の元で育ちました。
私にとって神仏は
何となく畏れながらもぼんやりと霞んだ存在でした。
高校生時代、親友の家に遊びに行った時、
子ども向けにやさしく書かれた聖書が置いてあったので
小説のような感覚で読んでみました。
ただ、
本当にあった出来事と
すぐには信じられない気持ちでした。
韓国に語学留学した時、
日本で付き合っていた
韓国人留学生の彼の家族に
ホームステイしました。
彼の家族は
信仰が厚いクリスチャンファミリーでした。
そこで聖書の話を聞き、
教会にいっしょに通い、
信仰が中心の家庭生活を体験しました。
特にお姉さんの生き方・考え方は尊敬でき、
お姉さんが信仰する聖書の教えは素晴らしいと感じました。
日本に帰国してから
私と彼は結婚しましたが、
日本の教会になじめず、
たまに韓国人の教会にいっしょに行く程度で、
十年が過ぎました。
ある日
聖書をもっと知りたいという気持ちが強くなり、
「教会に導いてください!」と
神様に祈り求めました。
すると神様は、
私たち家族を不思議な形で
教会に導いてくださいました。
教会に通うことがとても自然なことに感じられ
、私にとって日曜日は
心満たされる待ち遠しい日になりました。
さらに神様は、
牧師と聖書を学ぶ時を与えてくださいました。
私の中でぼんやりと霞んでいた神様が、
この学びを受ける度に霧が晴れていくのを感じました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書3章16節)
この聖書の言葉により、
イエス・キリストが
私の罪のために十字架にかかって死んでくださり、
その血潮によって私の罪を赦してくださったと、
はっきり信じることができました。
私を忍耐強く導き続けてくださり、
ひとり子を与えてくださった神様の深い愛に
私の心は感謝であふれています。
「神様と共に歩む幸せ」
Aさん 40代男性 カスタマーエンジニア
聖書から示された一年の目標は
「真の隣人となる」ことでした。
果たしてそれが実行できたか
思いを馳せると
何も誇れることは出来ていないな、と感じた一年でした。
周囲に愛の目を向けることが困難で、
非情さゆえに冷たい態度をしてきたと考えさせられます。
それでも神様は
一方的な愛で私をいつも支えてくださいました。
神様はいつも共に寄り添ってくださり
困難な時、
絶望に陥った時も
知恵と力をくださり乗り越えることができました。
「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」
と神様は聖書を通して
私に語りかけてくださっています。
神様に喜ばれるよう、
いいえ悲しませてしまわないよう、
日々その言葉に思いを馳せたいと思います。
仕事で訪問している
お客様でこんな出来事がありました。
いつもなら
パソコンやスマートフォンの話で
終わってしまうのですが、
この日は非常に深刻な重い空気が流れていました。
病院の検査で
命の危険もある重大な病気が見つかったのです。
私はクリスチャンであること、
神様がいつも共に歩んでくださっている事、
天国は本当にある事など、
お話しさせていただきました。
神様が私の大切な隣人を愛し救いたいと切に願われ、
私を用いて神様のメッセージを伝えられたのだと思います。
年明けに手術をされるそうです。
手術を通して病気が完全に癒されることはもちろんですが、
神様が共に病気と闘ってくださっていること、
また神様の愛を感じていただけたら幸いだなあ、と思います。
私も祈りによって
サポートさせていただく
恵みを与えられています。
これからも
私の隣人との交わりを通して
少しでも神様の愛と救いの恵みを
お伝えする事ができたらと
願っています。
※イラストレーターみなみななみさんの許諾をいただき作品を掲載せていただいています。